子供と旅行だよ 城郭観光編
 小田原城 石垣山城 北条氏政・北条氏照の墓

 北条氏の栄華を極めた小田原城

小田原城
 
 小田原城は、戦国時代の関東の覇者である北条氏が本拠とした堅固な城でした。
 現在の小田原城天守閣は、8000万円掛けて復元したコンクリート製の模擬天守で、昔の姿を復元したものではありません。当然ながら、本当の天守は当然木造でした。
 現在残っている城域は、江戸時代の1632年からの大改修で造られたもので、その時、総石垣となりました。
 要するに戦国時代には石垣ではなく、土塁だったと言う事になります。
 そして、明治に入ると天守閣を含む、城内のほとんどの建物が破却されました。

 小田原城の天守閣は何度も壊れていて、江戸時代だけでも、東海地震が発生するたびに、倒壊したり、火災にあったり、傾いたり、台風でも倒壊したりしています。そして、今の石垣も関東大震災で多くが崩れたそうです。

 しかし、散策したり、天守に登ったり致しますと、江戸時代後期の臭いがプンプンします。戦国時代の面影はほとんどない小田原城です。
 天守閣の中で展示されている刀や甲冑・鎧、鉄砲なども、ほとんとが江戸時代のものです。まぁ、小田原藩が置かれた地ですので、仕方ないですね。天守閣は冷房ないので、とにかく暑い。歴史展示物を見ていても、汗がたくさん吹き出てきます。展示物は撮影禁止でしたので、写真は取れませんでした。

 北条家が1590年に延長12キロとも伝わる、土塁と空堀による壮大な「総構え(そうがまえ)」を築いた、戦国時代の小田原城の状況と、現在の小田原城の状況は全く異なると考えて良いです。
 北条家の時代では、石垣も採用されていない土塁ですし、天守(本丸)も今の場所と違い、もっと西側の八幡山(小田原高校内)にあり、2層式天守だったとされてます。ただ、堀も深いことがわかり、かなり強固な城であることが伺えました。

 ちなみに、小田原城の「総構え」は、豊臣秀吉の大阪城よりも大きかったと事。北条家の城に訪れますと、いずれも築城技術の高さが良くわかります。
 ちなみに、豊臣秀吉の小田原攻めの際、豊臣勢20万〜22万に対して、北条氏は農民も含めた篭城数が約6万とされています。兵力的には勝てなかったとは存じますが、徹底抗戦はできたのに、無血開場したと言うのは、やはり、北条家は最後に領民のことを考えたと言っても過言ではないと存じております。

▼小田原城の天守閣

▼銅門

▼常盤木門(裏側)

▼常盤木門(表側)

▼北条氏政・北条氏照の墓

▼小田原城から石垣山城方面を望む

▼石垣山城から小田原市街地を望む

▼石垣山城の本丸跡(天守跡)





北条氏政・北条氏照の墓

 実は、私は、戦国IXAと言う戦国時代シュミレーション・無料ブラウザゲームにて、北条家で戦っていました。
 小田原城には何十年も前に訪れたことがあったのですが、ゲームとは言え、北条家に携わってから、また小田原城を訪れてみたくなり、そして、北条氏政や北条氏照の墓参りもしたいと思い、今回訪問した次第でした。

 北条氏政・北条氏照の墓は、小田原駅近くにあります。JR小田原駅・東口から歩いても5分くらいの距離です。
 車の場合、駅近くの100円パーキングに車を止めても行けます。

 写真の一番左の墓が北条氏照で、真ん中が北条氏政、右が北条氏政の夫人(正室か側室かなどは不明)となっているようです。

 北条氏政と北条氏照は、城下の田村安斉邸で切腹したとされ、北条氏の氏寺・伝心庵に埋葬されましたが、江戸時代に入り放置されていた墓所を小田原藩主・稲葉氏が、北条氏供養のため整備したものです。



一夜城・石垣山城

 せっかくなので、小田原城だけでなく、石垣山城にも行って見ました。
 石垣山城は、皆様ご承知の通り、豊臣秀吉が小田原城攻めの際に、一夜にして石垣造りの城を出現させたことから「石垣山城」と呼ばれています。
 小田原城からは直線で3キロの距離にあります。
 約80日間と言う、とても短い期間で築城した城ですので、私は、規模は小さいものだと思い込んでいたのですが、訪れてみてビックリ致しました。ヘタな中世の城より広大で、しかも山の上だと言うのに、総石垣造りの山城です。
 さすが、天下人・豊臣秀吉です。財力と動員力には、驚かせられました。
 犬の散歩にも良く、二の丸跡では、ピクニックも可能です。



<今回の行程>

 北条氏政・北条氏照の墓 → 小田原城 → 石垣山城 → 箱根・芦ノ湖 → 御殿場で日帰り温泉入浴
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